ルガーノ
7月10日(月)
予定よりも1時間も早く起きて、ひとつ早いシャトルバスで、空港まで向かった。空港駅では、ジャーマンレイルパスにスタンプを押してもらい、リンダウからルガーノまでの乗車券を買った。ミュンヘン中央駅には予定よりも早く着いた。そこで、ツーリストインフォメーションを覗いたり、ミュンヘンで泊まる予定のホテルGERMANIAの場所を確認した。ここでも、親切なドイツ人紳士が、私のもっている地図を見て、ホテルがどこだか教えてくれた。だんだん、気持ちがほぐれていった。初めての外国に来ているという緊張感はあるものの、こころは、温かいもので支えられていた。
ミュンヘン中央駅からチューリッヒ中央駅へは、ECに乗った。途中、近くの席の人に話しかけたが、うまく話が運ばなかった、そばの老女が割って入ってきたために、話が続かなくなった。車窓からの風景をデジカメで撮りまくった。きれいな景色がたくさん撮れた。4時間の乗車の後、チューリッヒ中央駅に着いた。ここで30分ほど待って、ルガーノ行きのECに乗った。ここでは、若いOLに話しかけて、チューリッヒのことを尋ねた。最初は、案内をして同行するように求められたのだと思って、断られてしまったが、話してくれるだけでいいんだというと、チューリッヒで好きな通りなどを教えてくれた。
ルガーノ駅へ着くと、funiclareという乗り物を捜さなくてはならなかった。が、すぐ分かった。駅の隣にその乗り場があった。一駅だけの区間を走る路面列車だ。ケーブルカーとガイドブックにあったが、ここはそうではない。ホテルへ着いたら9時前だった。もう夕食の時間は過ぎていたのだが、頑張って頼んだらなんとかしてくれた。押しの大切さを知った。料理はお世辞にもうまいと言えるものではなかった。魚料理は、ソースと肉の味がマッチしておらず、悲惨だった。が、デザートだけは初日からうまかった。
7月11日(火)
スイスへ着いた。ここまで来れば一安心だ。ここでは5泊するから、その間重たい荷物を運ぶ必要はない。今日は、朝早く目が覚めて、ルガーノ市街を歩いた。坂を下っていくとルガーノ湖に出る。朝まだ早いので人は余り出ていない。ホテルへ戻る途中、花を売っているのに出くわした。ヘッセの墓へお供えしようと思っていたが、今日行って見つかるかどうか、それも花が萎れないくらいにすぐ見つかるかどうか分からなかったので、ひとまず思いとどまった。最終日に再度訪問しようと思っていたからだった。実際そのようにした。ホテルの朝食は、簡素なものだったが、食材は新鮮でおいしかった。ここへ来て、ジュースといえば、オレンジジュースの他に、マルチビタミンが有名なことを知った。
モンタニョーラへ行くバス停は駅の付近に2つあるとガイドブックにあるが、近くにある方は分からなかった。何度も道を聞いて、なんとかバス停のあるところまで着いた。今思っても、よく行きつけたと思う。それほど複雑だった。大きなバス停が2つあり、最初のは違っていた。しかし、よくそれが違うと教えてくれたものだし、教えてくれたとおり行ってよく見つけたと思う。最後は、切符売り場まで付いていって教えてくれた。スイスの人は親切だった。何度グラッチェと言ったかわからない。しかし、その後も難関が待っていた。
どうも様子がおかしいのだ。乗客らしいひとは来ても出て行ってしまう。中には地下に降りていく人もいる。そこで付いていって分かった。地下がバスの出発場になっていたのだ。危うくバスに乗り損ねるところだった。なんとかアグラ行きのバスに乗った。これでモンタニョーラに行ける。次はどこで降りるかだ。20分程度の乗車で行けるとガイドブックにはあるが、だいたいその通りだった。が、バス停の看板を見ていて降りたら1つ早かったりして、ここでも綱渡り状態でモンタニョーラのバス停に着いた。
まずは、ヘッセ博物館だ。近くを通りかかったひとに聞いた。すると、ヘッセ博物館と縁のある人で、親切にも博物館まで連れて行ってくれた。バス停からそれほど遠くないところにあった。
ヘッセ博物館に入ると若い女性が迎えてくれた。地下室でビデオ上映があるということで、まずはそれを見た。ヘッセの一生が記録されていたと思うが、よく覚えていない。ビデオ上映の後は階上の部屋を見物した。
ここは写真にも撮った。これが、ヘッセの机だ。タイプライターがある。一通り見たあと、入場者が記入するための記念帳に記入した。下手な絵とともに、念願かなってやってきたことを書いた。
入場券は1日中有効だということだったので、外の散歩コース(1~11まである)を歩くことにした。かなり広いコースだ。全部歩くとゆうに1時間はかかる。曲がりくねった細い道を下りていくと広い道へ出、そこにヘッセが葬られている聖アボンディオ教会がある。派手な装飾のある墓のある中、ヘッセの墓は、妻ニノンの墓と共にそこにあった。ヘッセさん、あなたに会えてよかった。ドイツへ旅行したくて、休学してしまいできなくて、復学してからは、まじめに勉強し、ドイツ旅行のような大きなことは思い浮かばなくて、信州での農村夏期アルバイトや、4泊ほどのスキー旅行が精一杯だった。それが、ドイツへ来た。復学してから出会ったヘッセさんの「シッダールタ」がご縁でここまで来ることができました。まずは、そのご挨拶ができて、嬉しく思います。後日、花を持って、もう一度参上します。来てよかった。ここは、ここの雰囲気は田舎の美杉とそっくりだ。今の仕事が軌道に乗れば、美杉へ帰ろう。
コースを進むと、林の中へ入っていく、そこを抜けたところにレストランが数軒ある。ここで、昼食を取るのだが、メニューが読めない、イタリア語だ。そこで、スパゲッティと水で切り抜けることにした。村のひと達が来ているのだろうが、みんなゆっくり昼からビールを飲んで食事を楽しんでいる。静かで、かといって村人たちがいるので寂しくはなく、ゆったりと静寂を楽しむことができる。ヘッセの執筆活動には最適の場所であったろう。
コースを進むと、いったん博物館へ戻る。来年のカレンダーや絵はがきなどを買った。もう少し時間があるので、先のコースへ進んだが、9がどうしても見つからない。11も分からない。バス停に着いてから、ルガーノ行きのバスは15時半以降も夜遅くまで出ているいこがわかったが、もう一度コースに戻ろうという気にはならなかった。もう一度花を持ってくるのだから、その時のために取っておこうと思った。
ルガーノ市街へ明るいうちに着いたので、街を見物して回った。カフェテラスでジュースを飲み、日本へ宛てて手紙を書いた。郵便局の場所はすぐ分かったのですぐ出せたが、ようく考えるとホテルからでも投函できたのだ。ホテルでインターネットカフェが、近くのMANOAという百貨店にあることを聞き、そこからインターネットで日本へメールを書いた。TOKYO bookmark へも投稿した。これで、落ち着いた。
2日目の夕食はおいしかった。夕食付きのホテルだったので、これは大きい。写真で撮っておけばよかった。アペリティフからメインディッシュのビーフ、そしてデザートは最高だった。
7月12日(水)
今日から、最終日のモンタニョーラ再訪まで、予定は立っていない。漠然とルガーノ観光をしようというだけだ。
午前中は、ホテルのスタッフに聞いたスイスミニアチュアというスイス全土を小さな模型で表したところへ行った。場所は、Melede 駅を下りてすぐ分かった。つまらなかった。子供なら喜ぶのだろうが、小さな模型を見ても仕方がなかった。が、写真はたくさん撮った。ミニSLにも乗った。ここで、絵はがきを書いた。
午後は、気持ちが前へ出て行かなかったので、しばらくホテルの部屋でじっとしていた。少し元気が出てきたので、市街を散策しに行った。MANOAの中を見物したり、船着き場の方へ行ってみたりした。思い切って定期船に乗った。出費だが、それだけの値打ちはあった。ルガーノ湖を一周遊覧した。風が気持ちよかった。
夕食はアペリティフの次に、ソーセージがメインディッシュとして出た。おいしかった。デザートもおいしかった。ここのホテルのデザートは、みんなおいしかった。
7月13日(木)
今日は、モンテ・タマロへ行った。Alpe Foppe までケーブルカーで登り、1500メートルの高さからの景色を思う存分楽しんだ。歩くことを考えて、帰りのケーブルカーの券を買わなかったので、買うのはどうするか尋ねたりして時間を取った。自然の中に、自分でスピードを調節できるジェットコースターがあったので、乗った。楽しかった。結構スリリングだった。ボッタの作った教会はどこかと、近くに座っている中年男性に尋ねると、親切に教えてくれ、案内までしてくれた。お陰でボッタの教会の全体像をつかむことができた。
レストランで食事をした。ここの食事は、値段の割にはボリュームがあっておいしかった。大学の生協のようにセルフサービスになっているのだが、おかずや肉をたくさん盛ってくれた。
指で指し示すだけでよかったので、注文の苦労はなかった。お腹がふくれたので、少し歩いてみようという気になった。また、さっきの中年男性に会い、いろいろどれくらいで行けるかとか教えてもらい、手近な高原まで行くことにした。登り切ったあとは、草むらの上で寝転がって日に当たった。この日に当たったのが、後で大変なことになるのだが。。。少し移動しては、場所を変えて寝転がり、いい気持ちで時を過ごした。そよ風が吹くと気持ちよく、最高だった。
いったんレストランまで戻ったが、まだ時間がだいぶあったので、上へ行ってみることにする。ダメだと思えば戻ってくればよいのだ。頂上までは、無理だろうが、ルガーノ湖を見ることができる場所までは行ってみたい。そこには小さなレストランがあるらしい。途中、何度も休みながら、なんとか目的の地点あたりへ来た。約1時間10分かかった。この時、少し前からチューリヒから来たという青年2人と一緒になっていた。お陰で、霧でほとんど見えないルガーノ湖の位置を知ることができ、写真を撮ることもできた。
なかなか気のいい若者たちで、ここまで来たご褒美にということで、レストランで飲んだ、シロップ入りの水の代金を払ってくれた。もちろんお断りしたのだが、手持ちの小銭を出すのがやっとの語学力だった。
2人は、これからまだ先へ行くというので、レストランで分かれた。下のレストランまでは、楽に歩いてこれた。牛が放し飼いされていた。草を食べる時間になったらしい。
レストランの付近でのんびりしていると、ケーブルカーに急いで乗れという。天気は曇りがちだが、すぐ降り出しそうには思えなかった。しかし、土地の人には分かったらしい、ゴンドラの中に入り、しばらく行くと、雨が降り出した。雷鳴もとどろく。ゴンドラが、途中で止まった。十数分宙づりになっていた。ゴンドラ内に書いてある説明を必死になって読み、万が一止まったままのときは、そのまま指示を待てという指示に従った。すると、割と平静でいられた。動き出したときは、ほっとしたが、まだ雨は降っている。帰りの傘は持ってきていない。下りてから、傘売り場を聞くことにした。
ゴンドラを降りて傘は、ないかときくと、ないという。すると一人の男性職員が俺はあるといって、傘を持ってきて、くれた。いくらだと言って聞くのだが、そのまま行ってしまった。ありがたかった。他の乗客が、出口で雨脚が弱まるのを待っているのを尻目に、帰ってくることができた。が、この傘、開くのはいいが、ずっと両手で支えなければならない代物だった。くれるだけのことはあった。だが、ありがたかったのに変わりない。
ホテルの夕食は、アペリティフとホワイトミートにソルベのデザートだった。みんなおいしかった。
7月14日(金)
今日は、花を携えて再びモンタニョーラのヘッセの墓に参った。今回は、写真は撮らず、ただ、出会いから今までを感謝した。そして、安らかにおやすみくださいとお祈りした。今日は、ツアーがあるはずなのだが、日本語のツアーではないので、止めにして、今回もまた一人で散歩コースを最後まで歩いた。9はどうしても分からなかったが、最後の11まで行くことができた。コースの指示が一カ所抜けていたのだ。それで前回は迷ってしまった。今回は、よく考えて試行錯誤して正しい道を見つけることができた。何ものにも完璧なものはない、閉じてしまってはよろしくない。そんなことが思い浮かんだ。
ヘッセの散歩コースの最後は、森の中にある。ベンチに寝そべっていると気持ちよかった。今日も、昼食は同じレストランで取った。今日は違うスパゲッティにした。やはり、食事は、そこにあるいいものを食べ、飲むのがよいと思った。それには、やはりお金を余裕をもって持つことが必要だ。今回の旅では、全部というわけではないが、それが少し実現できていた。餞別をくれた母と姉に感謝。
ヘッセ博物館で絵を買った。それを帰りにバス停近くの公衆電話で電話をしたときに置き忘れた。しまった、と思った。が、すでにバスの中だった。終点まで行って、もう一度モンタニョーラ行きのバスに乗った。こんなことなら、絵を航空便で送ってもらうんだったと、費用の点を考えて思った。絵はあった。よかった。帰りのバスの運転手さんはこの前乗ったときの人だった。忘れ物をして取りに来たんだいうと、運賃を取らなかった。これで少し助かった。感謝。
ホテルの夕食は、ラザニア、ラム肉、デザートで、最高においしかった。アクアレッロ(ACQUARELLO) ホテルのディナー付き宿泊は大正解だった。